仁・義・礼・智・信 五常とは?

新年にして大転機。あまりにもひどい扱いを受けていた某実行委員会から、退会しました。
総務、web担当として、ネタが無い中、コンテンツを作成するという、非常にむずかしい、魔術師のようなことをやって参りました。
そこで、辞める直前に内部告発のような感じで書いた文章が以下です。

ただ、阿部謹也の学問と「世間」のこの紹介文は素晴らしいものだと私は思っています。
この文章を見ていただくだけでも、泥仕合の際の文章を再掲載する意味はあるとかんがえています。

@@@@@@@@@@(以下再掲載)@@@@@@@@@@@@

さて私、総務としては「退会」せざるを得ない状況が続く当委員会。
でも、更新はします。

医師にドクターストップをかけられ、仕事をする中で、助けを求めても、応答なく、声さえかからない。流石にここに関わって死ぬ訳には…と思う日々です。
この委員会だと、仮に仕事中に倒れても、私は自分の仕事をやればいいから、とほっとかれかねない。
そういう反応をされた相手に対してはねえ…寧ろ下の文で行くとそう言う方には人間味に欠けるものがあると思いますし。

それなら、自分自身の命を取るべきだと思っているこの頃です。

義理と人情がエネルギー源の人間。
エネルギーは今マイナスです。
なぜそれなのにこんなに長く誰も読まないであろう文を書くか。それは研究を志すものの性、一種の記録になると思ってです。

さて本日は引用から始めさせていただきます。

この記事に別バージョンがあるのですが、それは次に載せてみます。

@@@@

五常とは仁義礼智信のことである。五常の道が一つでも欠ければ人間とはいえず,畜生と同様である。

【仁】
 (中略)仁とは次のようなことである。殿様に対して私心なしに年貢や夫役などの義務を果たし,奉行衆へ柔順につかえ,武士であれば, どのような人であってもこれをうやまい, 自分より年下の者を軽くあっかうことなく,貧しい老女や婦人を憐れんで情けをかけ,村中に災難が起これば何をおいても救いの手をさしのべ,両親に日夜孝行をし,兄をうやまい,弟をわが子のように愛し,妻子とは仲よくして両親,兄 弟によくつかえるように教え,子には幼いころから素直であるようにいいきかせ,身分に応じて手習いやそろばんの稽古をさせ,耕作にはげませることである。さらにまた,村の若い者が家業を放り出して遊んで世を渡るのは,高札の趣旨にそむく悪事だから, これを見逃すのは心得ちがいで,仁愛の薄い者というべきである。したがって,よくいいきかせて善人に引きもどさなければならない。

 一族に対して仲よく何事もわが身のようにし,親切にあつかい,奉公人であっても身内の者のようにかわいがり,衣食ともに気を配って,寒さ暑さの苦労がないように情けをほどこす。見ず知らずの他国の人でも, 自分の村のあたりに来て病気にかかるか,路上で嘆き悲しんでいる姿を見かけたら助ける。このように,利己的なふるまいやいじわるなことをせずに,他人に思いやりや愛情をかける人を仁ある者という。仁なき者というのは,殿 様に対する役務をしっかり務めず,御 奉行所のお役人たちにも何かとさからい,眼力のにぶい幕府のお役人が村に来ればあなどり,庄屋や五人組との中もしっくりゆかず,親兄弟に孝行をつくさず,一族とは不和で,妻子ともむつまじくせず,荒子や家の子たち (「荒子」「家の子」ともに,江戸時代の農村下人の具体的形態。前者は二人と同居している労働力で血縁関係のない者。後者は血縁関係はあるが分家しないで二人と同居している労働力)の 待遇をいいかげんにして, ひどくこき使う百姓をいう。そういう者は必ず家督を失い,先祖代々の住みなれたところを去らねばならなくなり,乞食,非人となって,飢えて死ぬことは間違いない。

【義】
 義とは義理のことである。人々の上に立つ方々が義理を欠くようなことをすれば,悪い評判を立てられ, この世のどこにも身の置きどころがなくなり,子々孫々まで滅びてしまう。たとえば,武士が戦場で命惜しさにその場を逃げ去り,当面は命が助かったとしても,そ のあやまちはかくしようもなく,ついに死罪に処されて,妻子までついには乞食や非人に落ちぶれさせる。義理を重んずる武士は死ぬほどの危険をおかしても主君のために戦い,その名をとどろかせ,領 地を広げ,子孫まで永く栄えなさる。
これを義士といって,人の上に立てば義をもって自分の役目を果たされる。

 事情や地位が違うとはいえ,百姓たる者も,そのあたりの心がまえを誤ると,家を失うことになる。たとえば,一族のうちに悪事を働く者があれば,一所懸命に発見すべきなのに, これを見逃し,村の同じ仲間である百姓の難儀を見捨て,お役所の目をかすめて隠し田をこしらえ,隣の田畑のあぜを削りとり,他人の田のあぜを切って水を自分の国に引き込み,妻子を飢えさせ,荒子や家の子に対して不人情なあつかいをし,他人のものを欲ばって自分のものとし, 自分のものを惜しんで人に与えない。こういう百姓は畜生と同じで,ついには先祖から譲り受けた田地を失い,行く先もなく,路頭に迷って飢え死する。

 義理がたい百姓は, 自分のことでなくても幕府や殿様に大きな難儀があるときは,妻子や家の子もろともに,命の限りに務めを果たし,一族の難儀を救い村内近隣の者との約束ごとを少しもたがえない。また,他人の田畑のあぜを削らず,人から受けた恩を忘れず,妻 子らにも常に露ちりほどの嘘いつわりがない。荒子や家の子どもにものをいいつけたり,小言をいったりする場合に筋の通らないことは少しもいわず, ものをもらったところにはそれぞれお返しをし,金 ,銀 ,米 ,銭を使うべきところには惜しまず使い,使うべきでないところには一銭も無駄をしない。用事で見回るべきところには無沙汰のないようにし,またいうこととすることが少しも違わないように努力する。こういう者を義理がたい者という。

【礼】
礼とは礼拝のことである。上に立つ方々は,初春からはじまって,元日の朝のいろいろな儀式,年に5回の節句,毎月の1日,15日,28日の行事,月々のいろいろな行事,神仏の御祭礼などを欠かすことはない。これは,身分の上下にかかわらず万民が務めなければならないことがらである。礼拝をしない者は鳥やけものと同じである。百姓はまず前日にさかやきをそり,行 水をして,翌朝早くから髪を結い,祖先の霊を拝み,村 民の氏神様にお参りをし,父 母,兄 弟,妻 ,わが子にまで,それぞれ言葉をかわし,なお村役人相互に, また五人組は組員相互にめでたいといって礼をかわす。これが百姓の役目である。
 また, 百姓であっても,服装はともかくとして,髪やさかやきをはじめとして身を清めるのが父祖への孝行である。妻子や家の子までも,わらででもよいから毎日髪をきちんと結うことが,夫や主人につかえる礼儀である。自分の村に伝わる寺や神杜をうやまい,毎年,毎月の祭を欠かさず行なうこと。氏子が無沙汰をすれば氏神のごりやくは少ない。大農から小農,家の子,荒子にいたるまで,つつしみ深く暮らすように心がけることが第一である。たとえば道路ですれちがう場合でも,見たことのない他国の人, よその人でも, 自分の身をわきへよけて,道のよいほうを通してあげて,礼儀を正しくすれば, よその人も無礼なことはしない。こういうことを礼拝という。

【智】

 智とは人間にそなわる知恵のことである。どの生きものも,それぞれに知恵がないということはない。人は本来,知恵深く素直に生まれつくものであるが,悪友になじんでしまえば,知 恵深い素直な者でも悪知恵がつきやすいのである。今川氏の家訓に,「水は万円の器に従い,人は善悪の友による」と書かれている。水は四角い器に入れば四角になり,丸い器に入れば丸くなる。人は幼少から,素直で知恵があり機転のきく人と交われ, よい人間になる。悪友に誘われては,いま世間に横行しているばくち打ち,すりになって人生を台なしにし,親や兄弟や一族に難儀をかけ,村の庄屋,組頭に苦労をかけ,殿様にも御奉行様にも予想以上の出費をかける。人の上に立つ方々は,御幼少のころから「いろは」をお習いになり,知者を師匠として,中国や日本の書物をお読みになり,本来もっておられる知恵が少しも失われないように, さらに御知恵のつくように修業をなさる。

 百姓であっても,他村や自村に住む素直な知恵者と交われば,悪事に心がひかれることはあるまい。年をとっているからといって知恵があるとはかぎらない。「百歳の童,十歳の翁」といって,)心がけのよい者は十歳でも学問を身につけ,百歳の年寄りよりも分別や考え方のすぐれた者が多い。自分の住むところに, 書物をよく読む確かな人を招き寄せ,共同で報酬を出し合って,幼 い子どもにはまず「いろは」を習わせ,知恵のつく昔の短い文章を読ませるとよい。これは全く親としての慈悲である。日記をつけることもできないのでは, あきめくらも同じである。子どもに対して, 金 , 銀 , 米 ,銭,それに田畑を多く譲るのがよいとはかぎらない。「長者に二代なし」と世間でいうように,金 や田地はいくらでも手に入るものだと思い違いをして無駄に使っていると,そのうち本来もっていた知恵のはたらきまで鈍くなって,金 ,銀 ,日 畑も使い果たす。金銀ではなく知恵をさずけるならば,その子どもは, 自分の身持ちだけではなく村の役にも立つようなことをもよく考え,一族や奉公人たちのよくなること,悪くなること,お上への御奉公になること,ならないことなど,ありとあらゆることを深く熟慮して世を渡っていくので,人々にはめられ大事にされ,いつのまにか裕福になる。古い書物にも,「蔵の中の財宝は朽ちるものだが,人の身にしみこんだ宝は朽ちるものではない」と書いてある。金銀を使って身分相応に学問をし,なお農業にはげむのが本当の道である。

【信】
 信とは,物事に真心をつくし,少しもいつわりなく,変わらないということである。「天子の言は取り消し難い」といって,国王様がいったんいわれたことは, どんなことでも変えることはできない。人のからだから出る汗は,内に引っこむということはない。それと同じで,お上やお役人からいわれることは,少しも変更されることはない。善きにつけ悪しきにつけ少しも邪悪なお心がなく,真実誠の道にかなったことをいわれるものである。

 一度もでもいつわりがあれば,人々は何かにつけ信用せず,お上は軽んぜられ,御家中は統制がとれなくなる。奉行たちは,いつわりもえこひいきもなしに, 真実誠にかなう処置をなされば,世間から恨まれることもなく,人々に信頼される。えこひいきするようなやり方で万事を処理すれば,誠実にしたこともいつわりと思われ,庶民の心はおだやかでなくなる。誠の心をもって万事の処置をすれば,御家は長く安泰で,下々の民はしだいに豊かになる。そうすれば, 百姓もお上への義務や御用を大切に務めるだろう。親,兄弟には信実をつくし,妻子,奉公人に至るまでわが身よりかわいがり,誠意をもって接し,仏や神を信じ,悪い心は毛すじほどもない人を信者という。


 私は無学文盲だが,右のような五常の趣旨のあれこれを書き集めて 『百姓伝記』の一つの巻としたしだいである。人の一生はわずか50年ではあるが,その間に悪名をはせた者は家屋敷や家督ばかりでなく,子孫までも失う。手さぐりながらにせよ,仁義礼智信を重んずる百姓は自分の村までも豊かにして,お上からもほめられる。すべての悪事は,飲 ,食 ,色 ,欲 からはじまる。飲食とは飲み食うこと,色とは男女のかたらいのことである。この四つは身分の高い者も嬢しい者も行なうことで,捨てることができない。したがって,飲 ,食 ,色 ,欲 の中にも仁義礼智信を守り,お上の御指示に少しも反することのないように身をつつしむことが五常を守ることである。お上の御指示に少しでも反する人は,畜生と同じである。上も下も欲というものがあるからこそ,人はみな仕事をするのである。あれも欲しい, これも惜しいとか,物見遊山をしたいとか,あるいは充分飲み食いしたいとか, いい着物を着たいとかいうことは誰しもが願うことである。これが欲心である。悪い欲を起こさず,不道徳な行ないをせず,仏や神を信じ,お上をうやまい,父 母兄弟に孝行をつくし慈悲心を第一にして,人には憐れみをかけること。そうすれば一生は安泰で, しかも子孫は豊かになるのである。(後略)


@@@@

すこし長いですが、阿部謹也の「学問と世間」(新潮社新書735 2005年第16版)の128−136頁の文章を引用させていただきました。

これを黙って委員の方々にお見せする意味で、一回分のぼやき、としても良いのですが、それでは、著作権上、引用とはいえない可能性があります。ですので、ここから若干の補足説明等をさせていただきたいと思います。

「知識」と「教養」という言葉があります。阿部さんのこの説ではそのあたりを重点的に取り上げています。特にこの文のある前の章ではフッサールという人の学問論を取り上げて、それに絡めて「知識」「教養」さらに、この本タイトルである「世間」について論じ挙げていくという中々、読み応えのある章でございます。

まま、ここの委員の諸氏は十分にご存じだと思いますが、当サイトは外部の初めて来た方向け、若しくは、私のように、お馬鹿で、常に物事(そこには現委員会のあり方も含めますが)に疑問をもつものに向けても解放されているスペースと制作者であるお馬鹿な、田ノ神、私自身が考えておりますので、もう少々書かせていただます。

そこでばさっと、誤読を恐れずに、諸兄姉の批判的提言を前提としていうと…

日本の場合
従来の大部分の社会科学(論理体系)→「知識」
実際の生活している「世間」≠社会での、生きる術→「知恵」


※この本の論旨をおおざっぱに言います。近代化の中で「個人」「社会」という概念が取り入れられ、それを元に日本は近代化を進め発展を遂げてきた。しかし、実際に生活している場は、ヨーロッパから輸入された「世間」の概念と一致するものではない生活世界「世間」であった。その「世間」は今日の高度経済成長後も、至る所に存在しており、学問の世界、企業内などの中にも存在する。そして、この「世間」を考察の対象にする事が、社会科学の新たな展開として必須であり、また、それにより、より健全なあり方が見いだせるのでは?というような感じです(読み直していない要約だから院とかだと×貰いそうですなあ)


まま、とにも、かくにも「世間」ってものをもう少し考えようよ。
学問も、実際の生活に根付いたものにしようよ。
これくらいのおおざっぱな要約だと当たらずとも、遠からずといった所でしょうか?

で、前の長い文章は、その「世間」の中で生まれた「知恵」の紹介として出されているものです。
もしかすると、大学で「知識」中心で生活している我々が見習う点が、多々この文章にはあるのではと思い、あえて長文を引用したわけです。

私にはどうしても今の委員会が、養老孟司言うところの「脳化社会」、阿部謹也の言うところの「世間」に背を向けた委員会にしか思えない。

困ったときはお互い様

これが通じない、で「各自が云々なぞ、」、理論化社会ここに極まれり、と言ったところでしょう、、、なんて思うこの頃です。

「義を見て為さざるは勇無きなり」
なんていう格言やらは通じない集団です。
良い意味で、合理的な、都市的な集団。でも、そこで扱おうとする「わざ」はそんなノーブルな所でなく、世間で残ってきたんですがね。

※この団体は芸能公演の主催を計画していた団体でした。

団体名の公表はまだ控えます。
この後何か、更に追い打ちをかけられるようでしたら、その時は…とかんがえています。


なんて物騒なことはおいといて、阿部謹也の名文。
元日に読むのにふさわしい文章ではないでしょうか?

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